春夏秋冬ことろが感じた事を、気ままにつづる処です*
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こんばんわー*
ちょこちょこ日記にも出てたドラマ『ライフ』も、とうとう終わってしまいましたねぇ〜(複雑)
観てた人はラストで「あれぇっ!?」って思ったかもしれませんが、親と話した結果(たまたま一緒に観てたんです。笑)あの終わり方が一番よかったのではないか、という事になりました。
ここから先は、めっっっちゃ長いんで『続きを読む』にしときます。
本当に、傍観者次第で加害者も被害者も救うことができると思っています。
ちょこちょこ日記にも出てたドラマ『ライフ』も、とうとう終わってしまいましたねぇ〜(複雑)
観てた人はラストで「あれぇっ!?」って思ったかもしれませんが、親と話した結果(たまたま一緒に観てたんです。笑)あの終わり方が一番よかったのではないか、という事になりました。
ここから先は、めっっっちゃ長いんで『続きを読む』にしときます。
本当に、傍観者次第で加害者も被害者も救うことができると思っています。
私の最初の感想はやっぱり「これで終わり!?」「まぁ〜原作終わってないしね〜」でした;
「いじめ、っていうモノに答えを出しちゃうのは難しい」。
だからアレで終わったのかなーって普通に思いました。
でも、そうじゃないだろって親は言ったんです。
あぁいう終わり方をしたのは、確かに難しい問題の答えを番組という形で出してしまうのはどうかな?っていうのもあるけど、一番気付かなきゃいけないのは、これを観た人が“誰かに導かれて気付くのではなく、自分で何かに気付かなきゃいけないから”。
それぞれの答えが出ると思うけど、愛海のようなわかりやすい加害者・歩のような被害者・そして一番重要な立場にいる傍観者。
その立場を自分に置き換え、問題そのものから気付くこと。
テレビを観たから、授業であったからではなく、日常の中(人間関係とか)でふと“いじめ”という問題(の根っこ)そのものから考えていく。
番組で答えを出すのはどうかな?というのは、番組などで作者や監督、学校なら先生が答えやヒントなどを与えてしまう(つまり導く)と、生徒たちは受動的にしか問題を考えて理解しなくなっちゃうんです。
本当は、その大人たちが言っている(言いそうになる)事を、私達が先に気付いて考えて自分なりの答えを見つけてみたり行動をしなくちゃいけない。
だから、“誰かに導かれて気付くのではなく、自分で何かに気付かなきゃいけない”と書いたんです。
もう大半の人達が『傍観者も加害者だ』という認識があるようですが、そうわかってはいても勇気が出せず結局そのまま助けてあげられない。
あるいは「別に自分には関係ないから、ほっとけばいいんじゃね?」って思ってるのかもしれません。
だけど、私はそんな傍観者を変えていきたい。
どこの学校や社会にも「“いじめ”がない」とは言い切れない時代。
そして、いじめを作る環境(みんなの家庭環境とか、学校の環境とか)や、そもそもどのくらいの大人たちが大切なことに気がついてくれてるのか。
そこを知りたい。ゆとりの無い今だからこそ、流してはいけない問題に真っ正面から向き合いたい。そう思いました。
もちろん加害者とはっきり言える人も一番に変えなきゃいけません。
けれど、偏見かもしれませんが私の中には「加害者はかわいそうな人」というイメージがあります。愛海だって、家庭環境に問題がありましたよね。
それと、本気で狂ってしまっている人。
ある意味、救いようがありません。
佐己(?)くんが「そんな大人たちが居るから、僕達みたいな子供ができるんだ!!」というシーン。
それと「お前のせいで俺の世界はめちゃくちゃだ!お前のせいだ!!」って言った佐己くんに羽鳥さんが「甘ったれるなっ!!」と言ったシーン。
あと、歩が愛海に「本当の友達は居るの?」と聞くシーン。
それぞれが、すごく印象に残りテーマでもあるのかなと思いました。
私が「じゃぁ、答えがわかった人が友達に教えてあげればいいんだね!」と言うと、やはり親は違うと言いました。
それでは、導いてあげることと同じだと。
あくまでも自分で気付く事ができなければ、この先ずっといじめはなくならない。
何がいじめで、どうしていじめなのか、起きるのか。
自分たちは、どうしなきゃいけないのか。
時間がかかっても良いから、(感情として理解できるまで)自分のこころで判らなくちゃいけなかったんだなぁと、まだまだ自分の考えは浅かったなと痛感しました。
長くなって、しかも書きなぐりですみません(><)
でも、この問題はごくごく身近に在るとおもうんです。
私が伝えたかった事、1%でもいいからみなさんに届きますように。
読んでくれて、ありがとうございました*
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